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昭和4年17歳日記の書きお越し

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ここ数年は
ぼちぼちの感じのブログアップ。
世の中
ウエブ上のコミュニケーションツールが多いな
たまには
こっそりと知られずに〜がいいな〜って
なんとなく・・ひっそりとしていました。
(*^_^*)
でも
ワタシの体験や失敗談やこういう言葉が
誰かに・・・少しでも・・
元気や・・安堵感を・・・
ココロにポッと希望が灯ってもらえるなら〜
やっぱ書いたり〜も〜ワタシもうれしいかな〜
とふと思った。
それは
人からワタシの生き様や言葉で励まされた等の言葉を
いただいたりしたからかも・・・
こういうつながりや言葉に
ワタシが逆に励まされていることに気づいた。

なかなかブログの更新をしないのは
本当はこんなたいそうな理由もなく
ものぐさなだけのような気もするが〜

最近
仕事の合間にしているコトの一つに

昭和四年、当時17歳
森田幸子の日記の書き起こしがある。
33歳時に原子爆弾投下のほぼ真下の自宅で
亡くなったワタシの祖母の日記である。
九州から嫁にきた祖母の17歳当時の日記である。
彼女は毎日反省したり喜んだり
生き生きとコロコロ変化する感情。
読んでいるとすぐそこにいるような気がしてくる。
その日その日の文字や言葉から
リアルに人間像が伝わってくる。
この日記を書き起こしながら
母に
「ばあばのお母さんはこの日に
『ワタシは短気でいけないわ〜』って書いてるよ」とか
「『今日はうれし』って書いてあるよ〜
『今日は先生にひどいこと云われ、私は余りに悲しくわぁっと泣いた』
とか書いてあるよ〜これは先生ひどいね」
この時の日記に書いてある先生の言葉は本当にひどかった。
中学生の娘達にも読みながら
「みんなのひいおばあさんもいろいろ悩んどったね〜」とか話ながら
母も嬉しそうに「あら〜そう〜ふふふ」
母は自分の孫くらいの母親とそこで出会っている。
ワタシなどは全くは会ったことがない祖母。
母は小学二年生で会えなくなったお母さん。
日記を読むことで
まるで会えたような錯覚におちる。
その日記を書き起こし
母や妹、従兄弟に冊子にして渡してあげよう。
そう思って。

なかなか達筆で読み取れない文字を
彼女の全ページをみながら筆跡の特徴を読み取りながら


森田幸子の日記より

日一十三月二十
(昔はある時期までが
右から左へ文字を書いていたといわれていますが
それはどうやら
こういうことのようです。
日本の文章は縦書きが主流だったようで
その後、西洋から横書きが入って来ました。
しかし、
横書きは大正時代でも左から右へと書いています。
ではなぜ、
昭和初期頃まで看板やタイトルなどに見受ける
右からの文字並びはなぜか?
一文字づつの縦書きだそうです。
下記の文章は縦書きですので
この日記帳は全て縦書きということになりますね。)

『あー今年はすぎた。
今年は失敗の年だ。
ふりかへって見れば
みにくい我が姿が所々に点在している。
思い出は暗いものばかり。
無ー、明るい方面がある。
明るい方に目を向けよう。
さぁ、昭和五年よ来れ。』


・・・彼女はこの翌年は大学進学で
東京に上京する女学校最後の学年の一年間である。
その後、先に上京していた兄の影響で
テニスをたしなむようになり
兄のテニス仲間の大学生であった横山寿郎と出会い結婚。
足袋屋の跡継ぎである寿郎と共に
広島に暮らすコトになったのである。

sayuri Ueda
by unima | 2013-02-13 09:47 | ひとりごと

illustration/shadow show/pappets design/short story/Ilove art. And I want smile smile. hope no war.


by unima