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原爆で亡くなった私の祖母から疎開先の長男への手紙 1945年6月29日 横山幸子

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の丈ではなく自分のもちゃんとお盆にのせて二階に持ってきて一緒に食べます。
昨日、便器を捨てていらっしゃいと云った時はさすがに「クサイネーー」と云って
中々ハイと云わなかったの。
そして「蓉子は自分のオシッコぢゃないの がまんしていってらっしゃい」
って云ったら変な顔をして「はーい」って仕方なささうな返事をしてたけど
その中にタオルを顔にまいて鼻をかくしソロリソロリと持って行っていました。
おかしいやら一寸キノドクやらで笑ふにも笑へないで
一人でニヤリニヤリしてゐました。
此の間の呉空襲の時は一寸心配したらしいのね。
こちらは何の事もなく皆元気ですから安心して下さい。
東京の森田はね 
お隣がやける時は■が上からかぶさってきてとてもあぶなかったんですって。
稔兄ちゃんや達夫さん(間中の坊っちゃん)達が一生懸命でがんばって 
とうとう燃えうつらなかったさうです。
それで森田には近所のやけた家の方々が二十人程もいらっしゃるさうです。
稔兄ちゃんもうれしかったでせうね。此度暇があったら葉書でも書いておあげなさい。
お母さん達も稔兄ちゃんに負けない様に頑張りませう。
その為には病気でフラフラしててはつまりませんから早く元気になりませうね。
今日は此の後で平岩組の父兄會がありましたが、そんな具合でお母さんが病気だったのでお父様に行っていただきました。もうお歸へりになる頃だと待って居ります。
今 二階の座敷で書いて居りますが道具類、オルガン、蓄音機はじめ机から戸棚から殆ど疎開させましたからガラーンとしてとても廣い感じがしますよ。
豊が見たらびっくりするでせう。唯お父様の鉄カブトとカバンとお母さんのカバンが一つ置いてあります。でも蓉子がゐると本やらレッテルやらお人形やら着物やらそこら中散らかしてしまひます。
では、もうお夕食ですから 又此の次にしませうね。
未筆乍ら先生はじめ 皆々様によろしく
  六月二十九日                   さようなら
 豊殿                           母より


by unima | 2020-03-07 13:47 | 戦時中の祖母 横山幸子手紙1945

illustration/shadow show/pappets design/short story/Ilove art. And I want smile smile. hope no war.


by unima